雲仙普賢岳大火砕流から30年。絶対風化させない!未来へ!

大阪、今福鶴見、横堤にあるリラクゼーションサロン、バーデンス取扱店、癒やしの隠れ家美容室、“piEcE”(ピース)代表の鎗光寿朗(ヤリミツトシロウ)です。

 

今回は美容の話から少しそれて、私の心に残っていることを書きたいと思います。

 

本日6月3日は雲仙普賢岳の大火砕流が起きてから30年の日です。

 

 

なぜこのことにふれるかと言うと、雲仙普賢岳は私の故郷熊本の天草からとても近く、有明海と言う海を隔てて、目と鼻の先であり天氣がいい時は雲仙がきれいに見えるところにあります。

 

それだけに当時、雲仙普賢岳が噴火した際の火山灰の影響や火砕流又は土石流のニュースはよくテレビで見ておりました。

私の親戚も島原に住んでいるのでとても心配したのを覚えています。

今はとても綺麗になっておりますが、当時は本当に焼け野原のような状態で、振り返ると胸が痛いです。

 

当時43名もの方が犠牲になられました。

 

30年も昔のことですが、私は小学校3年生ぐらいで、ちょうどその頃は雲仙普賢岳の噴火の影響で地震が起きたり、避難訓練をよくやったことを今でも覚えています。

実家は海がすぐそばにあるので津波の恐れがあるのを感じながら生活してました。

 

噴火が落ち着いてから島原を見に行きましたが、土砂が屋根の高さまで流れ込んで、屋根の一番上の部分しか見えてないというようなお家もありました。

 

あれから30年の月日が流れました。

 

また今年は、3月は東日本大震災から10年。

4月は故郷熊本地震から5年。

 

節目が重なる年です。

 

何年経ってもこのようなことが起こった事実を風化させてはならないと思います。

 

起きてしまったことは悲しく辛く、大事な方を亡くされた遺族の方のこと考えると本当に胸が痛くなりますが、起きてしまったことは変わりません。

 

しっかり受け留め未来へ繋ぐことを続けていかないといけないと思いますし、今のあり方を見直し、教訓にしてしっかりと生きていかねばならないなと思います。

 

今はなかなか実家にも帰れませんし、しばらく長崎にも行けておりませんが、また故郷に帰る時があったら必ず島原に訪れたくさんのものを心と体で感じてきたいと思います。

 

天草と島原は本当に近くフェリーで30分でつないでいます。

(↑実家から歩いて3分くらいの海岸から。)

 

本当に綺麗な場所なので皆さん、いつか遊びにいってみてください。

 

1991年6月3日の雲仙普賢岳大火砕流により犠牲になられた43名の方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。